近所の洗礼祭 Timkat (Epiphany) -2017 in Addis Ababa

Timkat (Epiphany) near by my hotel in Addis Ababa.宿の奥様が近くの広場でTimkatをやっていると言うので朝食後に物見遊山で出かけてきた。

2つのタボットがあり、丁度、その一つを教会へ戻す行進が始まるところ、残りのタボットは、明日、聖ミカエル教会へ戻す。写真1枚目の頭に乗せているのがタボットで中にモーセの十戒のレプリカが入っている、こういう祭事に接するとエチオピア正教徒の敬虔さを感じる。アムハラとティグライが、正教徒なので人口の45%程度となる。聖水が提供されていたので手にとってみた。また、祈祷したペットボトルも売られていた。

Timkat (Epiphany) -2017 in Addis Ababa

目黒大仏、目黒にはかつて大仏があった

目黒には大仏があった。

下目黒三丁目の蟠龍寺の「目黒大仏」と呼ばれた阿弥陀如来像である。明治新政府の神仏分離政策の中、廃仏毀釈により1871年(明治4年)に来日したフランス人エンリコ・チェルヌスキーの手へ渡り、フランスへ。現在はパリのチェルヌスキー美術館(Musee Cernuschi)の大ホールに鎮座している。輸送の際、大仏を3分割切断して輸送、後に接合された。

増上寺の学問所として建てられた蟠龍寺だが、当時、徳川家の没落とともに寺も衰退、住職はおらずチェルヌスキーは土地の名主に購入資金を支払ったとこと。チェルヌスキーとともに来日した美術評論家テオドール・デュレは帰国後「東洋への旅」を著し大仏は目黒で買ったと記している。写真はチェルヌスキー美術館の大ホールのかつての「目黒大仏」。

NHK「海を渡った600体の神仏」(2003年)の再放送で知った。仏像の流出の背景には明治新政府による神仏分離、廃仏毀釈が大きく影響している。

そしてチェルヌスキー来日の数年後の明治9年にエミール・ギメが来日し多くの仏像等を蒐集する。

セルヌスキー美術館の大ホールのかつての「目黒大仏」

https://www.cernuschi.paris.fr/ja

「夢の海外旅行が実現した日」

戦後、海外旅行が解禁されたのは1964年4月1日、持ち出し外貨はUSD500だった。最初のツアーはパンアメリカン航空で行くハワイ7泊8日で41万円、大卒初任給が1.5万円だった時代。海外渡航者数は12.8万人だった。

海外ツアー促進のため日本航空がパッケージツアー人材、いわゆるツアーコンダクター、を育成。

1973年には200万人へ、そして、バックパッカーの登場。地球の歩き方、1979年創刊、米国版のヨーロッパ1日5ドルの旅がベースになっている。

五木寛之は1965年6月10日にナホトカ航路シベリア鉄道+ハバロフスクからフライトでモスクワへ。モスクワでの若者との体験を帰国直後にさらばモスクワ愚連隊を、その後、蒼ざめた馬を見よなどを執筆、1967年直木賞受賞、同年に平凡パンチに青年は荒野を目指すを、連載。ソ連旅行の語りが興味深い。

 「夢の海外旅行が実現した日」

https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/episode/te/W53G5MN361/

渋谷道玄坂の百軒店

 道玄坂を登っていくと百軒店商店街があり、ストリップの道頓堀劇場の斜め右前に喜楽がある、1980年代初頭、会社勤めをするようになり知った店、時々、思い出しては行っていた。

道玄坂から百軒店へ入った時から昭和、その先、右手へ行くと名曲喫茶ライオンがあり、またまた、昭和の香り色濃い。ラブホが点在し、抜けて行くと角にアダルトショップ、その先で東急百貨店と道玄坂を繋ぐ道路に出る。ここにライブハウスがあり、人通りが多く、この通りと一本奥の通りは道玄坂ラブホ街で風景がまたまた一変する。

  
    
    
    
 

「OutLook2007 動作を停止しました」への対処

OutLook2007をWindows7で使っているが、クラッシュ、「動作を停止しました」のメッセージ、その後、何度起動しても正常に起動しなくなってしまった。


なんてこった。勝手に動作を停止されても困るだよな。対処法をネットで検索、Microsoft Answerの「質問Microsoft office outlookは動作を停止しました。」に以下の対処で解決した云々。

冒頭の【 Outlook 2007 サポートページ 】 へのリンクは、既に切れている。一番下に以下のコメント。

「アプリの修復や再インストールを試みましたが該当事例なく、切り分けに2010ベータを導入してみたところ、アカウントの設定時にOutlook.pstの破損が判明し、以下の手順で修復し、Outlook2007で無事使用可能となりました。」

壊れた Outlook データ ファイルをスキャンおよび修復する
http://office.microsoft.com/ja-jp/outlook-help/HA010075831.aspx、

とにかくこの対処方法を試してみた。

受信トレイ修復ツールを起動、スキャンすOutlook.pst を参照から選択。

Outlook.pstファイルは、ユーザ/(ユーザ名)/AppData/Local/Microsoft/Outlook/にある。

サイズが7.8GBもあった。でか過ぎ。

このファイルに内部エラーが見つかりました。ファイルを正常に使用するためには、ファイルを修復する必要があります。

このファイルで見つかったフォルダ:122
このファイルで見つかったアイテム:64721

それで「修復」をクリック、あれ?応答しないだって。再度、受信トレイ修復ツール”Scanpst.exe”を起動しやり直した。

修復ボタンをクリックするとOutlook.bakというバックアップファイルが自動的に作成されるが、再度、アプリが応答なしとなった。

ちょっと不安になったので他のサイトをチェック。「応答なし」と表示されているがこれを作業中と見なして暫く様子を見る。

よくわかる!受信トレイ修復ツール(Scanpst.exe)の実行方法
http://outlooknavi.net/article/163819234.html

「修復が完了しました」のポップアップ、次は、OutLookが正常に起動するか否か・・・、結果は変わらず「動作を停止しました」のメッセージ、参ったな。

結果、悪し、プロセスだけ参考までに公開しておきます。

これ以上は、対処不能・・・、pstの削除か・・・、困ったな。

【結果】
この症状が現れる直前にある大学のメールアカウントを新たにIMAPで設定した。通常は新たに「.pst」ファイルができず「Outlook.pst」に含まれるようだが、「xxxx.pst」と新たなファイルが出来ていた。そのファイルを削除したところ「動作を停止しました」メッセージが出なくなった。

どういうことじゃ、この大学のメールアカウントがWindow7と相性が悪いのか、XPでも使っていたのに問題なかったアカウントなのだ。

このような事情で復活したので根本的な問題が明らかになったわけではないが、復活した。